世界と日本の精神保健の歴史

vol5
 

精神疾患についてはよく「現代病」などと言われます。患者は年々増加し、今や5人に1人が一生の間に何かしらの精神疾患にかかるとされています。
5人に1人と言えば、1家族につき誰か1人はかかると言ってもいい数ですね。
 

では、精神疾患は現代よりももっと昔にはなかった病気なのでしょうか?
 

そんなことはありません。大昔から精神病患者は存在しています。今回は、精神保健の歴史について振り返ってみたいと思います。
 
 
1、世界の精神保健のはじまり
 

フランスのフィリップ・ピネルという人が、「精神病患者を鎖から解き放った」初めての医者として知られています。
 

18世紀終わり・フランス革命の頃です。鎖に繋がれていた精神障害者は、病気として認識されておらず人権を無視されていました。迫害されたり処罰されることもあった時代です。ピネルは患者の人権を重視し、人道的精神医学の創設者となりました。
 

ピネルは、はじめは骨格研究と外科施術を専門としていましたが、親友が精神系疾患にかかったことをきっかけに心理学的精神病理学医へ転向したと言われています。
 

精神保健福祉士を目指す皆さんにも、目指すきっかけはありましたか?
 

ピネルのように身近な人が精神疾患にかかったことがきっかけ、という方も多いのではないでしょうか。また、自らが精神保健福祉士の患者となった経験から、憧れるようになったという人もいるでしょう。きっかけは人それぞれですが、精神医学の父と呼ばれるピネルが少し身近に感じるエピソードです。
 

その後、エミール・クレペリンというドイツの精神科医が、近代精神医学の基礎を作りあげます。クレペリンは精神病を、今で言う統合失調症と躁鬱病の2つに分類しました。これにより、少なくとも精神科医の間では、精神病患者をあざけるような語彙は払しょくされたと言われています。
 

ですが、一般市民にはまだ浸透していません。それだけではなく他の専門を持つ医者や看護師ですら、精神病患者への理解が足りていない歴史が続きます。
 

そんな中、クリフォード・ホイティンガム・ビーアズというアメリカ人が、自らの精神病院での過酷な体験を本にしました。病院の患者に対する暴行や強圧について描かれた「わが魂に会うまで」という本です。精神保健福祉士を志す方はぜひ一度読んで欲しい一冊です。
 

ビーアズは市民運動家として死ぬまで精神衛生運動を展開し、アメリカの精神衛生運動の先駆者となりました。これが今日の精神保健福祉の拡がりをつくったと言われています。
 

こうして精神病患者への理解は徐々に進んでいきました。
 
 
2、大戦後の世界の精神保健
 

第二次世界大戦の勃発によって、精神病患者は再び迫害される歴史へと逆戻りしてしまいます。特にナチスドイツの政権下では多くの痛ましい悲劇が起こり、精神障害者や知的障害者らの多くが抹殺されました。
 

そして大戦後、世界精神保健連盟が設立されます。
 

精神衛生の向上を広い視野で企てようと、関連する諸科学をはじめ、政治・行政・司法・宗教などの各種の団体や個人で組織された団体です。大戦後は世界中で、精神病患者に関する福祉施策が見直されたのですね。
 

この頃から、イギリス・イタリアでは「脱施設化」が唱えられていきます。公立の精神病院を廃止し、地域やケアセンターで受入れを行う方針です。開放的で無拘束であることを原則とするなど、先進的な取り組みが進められていきます。
 

日本で近年言われている「地域包括ケア」の概念に近いのではないでしょうか。早くから取り組んでいる各国から多くを学び、地域包括ケアの推進に活かしていきたいですね。
 
 
3、日本の精神保健の歴史
 

さて、世界の動きを大まかにとらえたら、次は日本の歴史についてみていきましょう。
 

日本における精神障害者に関しての初めての法律は精神病者監護法です。1900年にできました。
 

今でいう都道府県知事の許可を得て精神病者を自宅で監置できるという法律です。これは欠陥の多い法律で、医療が十分に受けられず家族の負担も大きいという状況が生み出されていました。既に理解が進みつつある諸外国に比べ環境が悪い実態でした。
 

この法律の批判を受け、精神病院法ができます。1919年のことです。
 

都道府県が精神病院を設置できるという法律で、私宅ではなく医療の整った施設で患者を診る事ができるようになりました。ですが、国の予算が十分ではなく、私宅監置も継続されていたため、病院の設立はあまり進みませんでした。
 

この状態から変化があるのは、二度の大戦が終わった後、1950年のことです。欧米などの諸外国よりも10年遅れていると言われています。諸外国から精神衛生の考えが輸入され、精神衛生法がつくられました。
 

この法律の成立によって、上で説明した精神病者監護法・精神病院法は廃止され、精神障害者の私宅監置が禁止されました。公立精神病院の設置義務・同意入院制度・精神衛生鑑定医制度ができるなど、精神衛生に関する制度が出来上がっていきます。
 

また、精神障害の発生予防や健康の保持向上についても目が向けられ、精神衛生相談所が置かれました。

 
 
4、精神保健に関する課題
 

このまま現代へと進みたいところですが、精神保健に関する問題はそう簡単ではありません。
 

新たな問題として、薬物療法が導入されることで症状の改善した精神障害者が増え、そのまま長期入院・社会的入院してしまうという課題が浮かび上がってきました。
 

また、精神医療の在り方も十分ではなく、ライシャワー事件宇都宮病院事件などをきっかけに日本の精神医療のあり方や社会復帰施策が不十分なことも国際的に批判されました。これが精神衛生法を大きく見直すきっかけになります。
 

そして精神保健法という法律が成立します。1987年のことです。
 

この法律では、精神障害者の人権擁護だけでなく、精神障害者の社会復帰の促進がうたわれました。これも現代に繋がる大きな課題ですね。
 

この頃から、地域で精神病患者を支えていく地域包括ケアの考え方や、在宅福祉の充実についても考えられていきます。「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本的な方策が進められていきました。
 

そして2004年、改革のグランドデイン案が立てられました。改革の基本的視点として、「障害保健福祉の総合化」「自立支援型システムへの転換」「制度の持続可能性の確保」があげられました。この3つは今日まで続く課題として捉えられています。

※こちらの記事は入学検討者向けに掲載しているため、簡易的な説明となっております。
転載・流用はご遠慮ください。

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